理化学研究所第3代所長 大河内正敏博士胸像
「理研」に当社の芽生え
当社の源流をたどると「理研(理化学研究所)」に至る。
1913(大正2)年、高峰譲吉が、「国民科学研究所」の必要性を提唱。
1916(大正5)年、大隈重信首相が「理化学研究所設立発起協議会」開催、翌1917(大正6)年、渋沢栄一を設立者総代として財団法人理化学研究所設立を申請、皇室御下賜金・政府補助金・民間寄付金などをもとに、我が国の産業発展に資することを目的として設立された。
1927(昭和2)年、第3代所長・子爵大河内正敏博士は、理研のさまざまな研究によって生み出された発明・アイデア・技術などを理研自身が製品化・事業化する事業体として、今でいう“持ち株会社”「理化学興業(株)」を創設、この会社を中心に製鋼・鋼材・アルマイト・光学機械・各種機械など多くの分野で工業化するため全国の拠点に多数の生産会社を設立、「理研産業団」を形成した。大河内博士らの理論を実践し、科学と工業を一体化させた産学複合体の「理研コンツェルン」である。一業一社を建前として1939(昭和14)年頃には会社数63、工場数121を擁する企業グループに成長していた。
創業
当社の源流はこのうち、1935(昭和10)年2月に創設された理研特殊鉄鋼(株)「王子工場」の圧延部門にみることができる(王子区北町【現:北区神谷3-10-1】)。
その後、理研コンツェルン内での幾多の再編等を経て、1941(昭和16)年、「理研工業(株)」王子第二工場と改称。